100号を迎えて 〜景観あびこ〜       吉澤 淳一(会員)
「景観あびこ」は今号を以て記念すべき100号を迎えた。会の歴史と会員の景観に対する思いが詰まっているこの私たちの会報が100号を迎えたことに、会員の皆さん及び会の活動を支えてくださったすべての皆さんに、一会員として感謝の念をささげたいと思う。以下に変遷を記してみた。

会設立の翌年、平成14年3月に早くも第1号を発行した。初代編集長には清水昭子さん(故人)が就任し、今日の「景観あびこ」のスタイルを作ってくれた。彼女は平成20年4月の26号まで担当した。因みに27号〜54号を飯田俊二さん、55号〜91号を私が担当した。現在の編集長は鈴木洋子さんである。

当初、発行の目的や位置づけについてこんな議論があった。「会員や市民に対する景観啓発のツールにしたい」「我孫子市の景観行政に対するご意見番になるべし」「会員一人一人の景観に関する考え方や情報を紹介する場としてはどうか」「市民にまちの景観の大切さを思ってもらう場としたい」等の意見が出た。結局後者2点に軸足を置いてスタートしたが、会の発展と共にその役割は変遷していくべきであろう。

当初年4回の発行を、平成21年30号から年6回の発行にした。活動の活発さに比例して残稿が増えだしたこと、なるべくタイムリーな記事を掲載したいことから、発行回数を増やしたものである。ページ建は4ページまたは6ページだが、過去に4回8ページにしたことがあった。第5号、27号、29号、47号である。そして驚いたことに、平成24年の第50号記念特集号は20ページに上る大部であった。その内容は主な号のトピックス、アンケートから読み取る会員の思い、会10年の歩み、年表など、このエネルギーには脱帽である。

写真などのカラー化も推進した。モノクロ時代、一部カラー化時代を経て、平成28年73号からコスト面を睨みつつオールカラー化を実現した。景観というテーマを扱っていることから、カラー化は悲願であった。これにより活動風景を含めて訴求度が飛躍的に向上し、内外からの注目度も増した。参考までに15号までは、使用する印刷機のクオリティが低いので、写真ではなくイラストが使われていた。主に高橋正美さん(当時副会長・元会員)にお願いしていた。

ところで、「題字」と「シンボルマーク」にまつわる話 〜初代編集長 清水昭子さんに聞く〜 を、50号記念特集号の中に見つけたので紹介しよう。

会報誌の創刊にあたって、すてきな題字(景観あびこ)が欲しいけど、誰にお願いしようかと役員会で話している内に、中島允子さん(現・賛助会員、当時は役員)が「長女に書かせてみましょうか…」ということになりました。中島さんは長女の彩花(つやか)さんの字が好きだったそうで、全員一致で決まりました。一字一字が楽しげに話しかけてるようでしょう!
※後に私が中島さんに聞いた話では、あの字は割りばしに墨を含ませて書いたそうです。


「景観あびこ」の上の四角にドット模様のシンボル
マーク?〜これには特別な意味はありません。題字の
上の空白が妙に気になり、PCの中から探し出し挿入
しました。意味づけると、大地に落ちた雨粒だとか…。どうぞ自由にご想像ください。(文責 濱田洋子)
会報の題字とイメージマーク

長くなるが、以下に既に終了した主な連載企画を紹介しよう。創刊号にして早くも冨樫道廣さんの肝いりで、各界の「景観を守る人々」へのインタビューを開始し、掲載を始めた。私たちが活動する前から、それぞれの立場で我孫子の景観に心を砕いてきた先人たちの思いが強く胸を打つ。冨樫さんは、会の発足前から満を持していたのだと思う。
下記の方々が登場している。

・第1回 三樹荘当主、村山正八氏(故人) 
      創刊号・第2号(平成14年3月、6月)
・第2回 根戸城址の住人 日暮朝納氏(故人) 
      第2号(同年6月)
・第3回 湖北座会 前会長 星野保氏(故人) 
      第3号(同年9月)
・第4回 かじ池亭のオーナー 渡辺照夫氏(故人)
      第6号(平成15年3月)
・第5回 相島芸術村 井上基・千鶴子夫妻 
      第7号(同年6月)
・第6回 日立総合経営研修所 関島康雄社長 
      第9号(同年12月)
・第7回 あおむし君のおうち 菅野みどり氏 
      第10号(平成16年3月)
・第8回 大原邸のガーデン 大原素子氏 
      第11号(同年6月)

次は「我孫子らしさ」の長寿連載である。きっかけは、平成19年21号に載った高野瀬恒吉さん(故人)の「何故、我孫子に」である。
彼は自分が我孫子に住むようになった理由、そして「この町をもっと住みよい街にするため」の知恵と支援を紙面で呼びかけた。すぐに柏原さんが「第二の故郷 我孫子」を投稿した。次に高野瀬さんは「我孫子らしさとはどんな事」を投稿、すると冨樫さんが「我孫子らしさの紙上討論」を呼びかけた。編集部が呼応してシリーズ「我孫子らしさ」が始まった。平成19年から26年まで、36人の会員が自分の思う「我孫子らしさ」を投稿している。ほとんどの皆さんが、この地に転居してきた方々で、いわば我孫子は第二の故郷である。第一の故郷の原風景を心に秘めつつ、我孫子の景観を客観的に見つめている描写が面白くまた参考になった。このシリーズは、平成27年に特集号として、まとめられている。
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