吉澤 淳一(会員)
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【文化・スポーツ課の活躍】

スタート後、担当部局・文化課(現:文化・スポーツ課)の企画・運営は見事なものだった。

月1回の月例会での情報交換や勉強会(下の写真:教育委員会提供)、他市への見学会など、ガイドの資質向上のための貴重な機会を沢山作ってくれた。
村川別荘での勉強会

平成19年に開催したアビスタでの講演会と展示会は圧巻だった。講師にお招きしたのは、東京大学名誉教授・日本学士院会員(共に当時)の伊藤貞夫氏と村川夏子氏(前述)である。(右の写真)伊藤貞夫氏は、村川堅太郎氏に師事、専門は古代ギリシャ史で、その年1月の「講書始の儀」において天皇皇后両陛下(当時)に「古代ギリシャの家と社会」についてご進講された方である。村川夏子氏は「我孫子市史」近代編において村川別荘の歴史を執筆された方である。展示会は「旧村川別荘の90年」で毎日新聞に大きく取り上げられた。

平成19年からは毎年初秋に「竹灯篭の夕べ」を催している。庭内の孟宗竹を利用した灯篭が幻想的な世界を演出して好評である。また、平成20年から「ひなのまつり」を開催している。ガイドさんの中に"吊るしびな"の達人がいて、毎年多くフアンが集まる。竹灯篭と共に旧村川別荘の春秋の風物詩として定着している。

平成28年には、「旧村川別荘市民ガイド10周年記念講演会」をアビスタで開催した。講師は文化スポーツ課の辻史郎さん(前述)。同時に「旧村川別荘市民ガイド10年の歩み/手紙と絵葉書から見る『村川堅固の洋行』」を発行した。
平成19年、アビスタでの講演会ポスター

【ここから生まれた楚人冠プロジェクト】

村川堅固の人脈の中で、「手賀沼保勝会」という言葉に出くわした。これは何だ?初めて聞く言葉だった。メンバーが俄然色めき立った。調べていくと、それは大正15年に杉村楚人冠が立ち上げた手賀沼干拓反対運動だった。

村川堅固はもちろんの事、嘉納治五郎、大谷登、吉田甚左衛門や地元有力者の名前が挙がっていた。今日、狭くはなったが手賀沼が残っているのには、楚人冠たちのこの活動が一役買っていたことが分かった。更に歩を進めていくと、昭和10年に設立された「我孫子風致会」という名前も出てきた。これぞ真に「我孫子の景観を育てる会」ではないか。

このことから楚人冠の"手賀沼の景観、我孫子の景観"を愛する活動にスポットを当てた研究が始まった。それが、会の創立10周年記念で発行した『楚人冠のメッセージ −愛する手賀沼と共に一』につながった。
詳しくは、「楚人冠のメッセージ」の項で語ってみたい。
  当会発足20周年(令和3年6月)を記念して冊子を発行した。(上の写真・全62P ■掲載ページへ)
  会員の野口修氏が、会報紙「景観あびこ」に、5年にわたり連載した「我孫子景観基礎研究」に、写真や資料を加えた報告書と、会員の「手賀沼の水辺」をテーマとした寄稿文と写真、スケッチを1冊にまとめた。
●アビシルベ発信のスマホアプリ『あびこ巡り』

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編 集 後 記
  100号記念特集号の発行にあたり、たくさんの方々に多大なるご協力を頂きましたこと、御礼申し上げます。時間をかけて準備し無事に発行できましたことは喜ばしく感慨深い思いです。51号から8年間の会の活動の軌跡がここに記され、その活動への会員の思い、又それを会報紙に残すべく編集に携わった歴代の委員の思いがここに込められています。
  この思いを引き継いで、101号から気持ち新たに良い紙面作りに努めていきたいと思いますので、皆様よりご意見ご感想を頂けましたら幸いでございます。どうか今後ともご協力よろしくお願いいたします。
  発行には、プロジェクトメンバ―として、飯田、川上、杉原、龍岡、中塚、宮内、鈴木が携わりました。ご協力ありがとうございました。
(編集長:鈴木洋子)
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