"ふるさと”って? (我孫子市史研究センター発行「それぞれの故郷」より抜粋)  広報部会
今から31年前の1983年に、我孫子市史研究センターから「それぞれの故郷」という冊子が発行されていた。老若男女56人の市民が自分の故郷について思いを述べていた。我孫子生まれの我孫子育ち、他所からの転入者やその家族、我孫子に嫁いで来た主婦、様々な人たちの故郷感が、本紙連載の「我孫子らしさ」と重なって、興味を持って拾い読みをした。 そういう中に、当時の市内小中生アンケート「"ふるさと”って?」のコラムが目を惹いた。これも「楚人冠のメッセージ」中の小学生の作文と重なって興味深かったので、以下に紹介してみる。
ふるさとという言葉から、いなかの秋田の田畑風景、秋田なまり、水車小屋、石川啄木を思う。(男・中二)
佐賀県佐賀郡で生まれて、石川県小松市に住んで、我孫子市に。ふるさとという言葉から、田や畑などのきれいな風景を思い浮かべる。ふるさとっていいところだと思う。(男・小五)
札幌市生まれ、東京→横浜に住んで、我孫子市に。安らぎのあるところがふるさと。(女・中三)
玉県蕨市生まれ。ふるさとって田畑がいっぱいあるところ。ふるさとの入っていうとおばあちゃん。(女・小四)
しずかなところ、いなか、言葉のなまり、おまんじゅう、土の道。(男・小六)
ふるさと、といったらやっぱり田舎町。でもわたしのふるさとは、どっちかというと都会。わたしにとってのふるさと、って、やっぱり、かえるところ、かえれるところ。自分を知っている人がいるまち。それだけに、ふるさとの人ってあたたかだと思います。(女・中二)
東京都杉並区→大阪市→東京都小金井市→我孫子。我孫子をふるさととは思わない。ふるさとは、心の落ち着く場所。(女・中二)
三重県伊勢市生まれ。その後、岐阜県羽島市、横浜市に住んで、我孫子市に。ふるさとは我孫子と思っている。ふるさとは心の中にあるもの。(男・中三)
我孫子生まれ。手賀沼、志賀直哉、バーナード・リーチをふるさとから思いうかべる。(男・小五)
東京都杉並区荻窪で生まれ、練馬区上石神井、我孫子、群馬県、そして我孫子に住んでいます。ぼくのふるさとはどこかわからない。(男・小三)
我孫子生まれ。私のふるさとは我孫子。ふるさとに自分が住んでいていいなあと思う。志賀直哉、青木功、山宮先生(一小のボクの担任の先生)をふるさとの人から思いうかべる。(男・小六)
ふるさとは我孫子。手賀沼や沼南町に住んでいたおじいちゃんをふるさとから思う。(女・小六)
1983年「郷土あびこ」第五号・特集「それぞれの故郷」 発行:我孫子市史研究センター
「我孫子らしさ」の連載を終えて                  広報部会
7年間36回の長きに亘って掲載してきた、景観の視点からみた「我孫子らしさ」は、多くの会員の思いを込めて、今号でその連載を終えることにした。

平成7年、第24号に掲載された高野瀬さんの「■我孫子らしさとはどんな事」の提起に対して、■次号で冨樫さんがそれに応えている。これがこのシリーズの発端で、以降34人の会員が、自分にとっての「我孫子らしさ」を紙上に展開してきた。

高野瀬さんは、広報あびこの中に「我孫子らしい・・・」という言葉を見つけて、そこから我孫子特有の「らしさ」を思考している。文の最後に「老人や子どもや若者が和気藹々としてそぞろ歩きのできる、他の町には見ることのできない景観、『水と緑と鳥の自然味豊かな手賀沼』を象徴とする我孫子らしさを実現することも願望の一つです。

皆様と共にあらためで我孫子らしさの意義とあり方"について語り、考えてみたいと思います。」としている。冨樫さんは、「面水背山」が我孫子の地形の特徴であり、手賀沼と利根川、台地の斜面林、ハケの道がその構成要素であると説く。それらは自然の生態系によって造られてきたが、―方でそれらを破壊している中で、「らしさ」を定着させるのは容易ではないとも言っている。そして「景観五年、風景百年、風土千年」という言葉で結んでいる。

以降、多くの会員が、いろいろな立場から我孫子の景観についての思いや願いを記しており、36人36色の我孫子に対する愛情を感じることができた。この皆さんの思いを「私の我孫子らしさ」(仮称)として冊子にまとめて、発行する予定である。

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