まちの美化に取り組む人々-47-
    我孫子駅北口花壇 AKB会「我孫子駅北口美化委員会」キックオフ  
中塚 和枝(会員)
6月12日夜、当会々員から、我孫子駅北口駅前ロータリーに立派な花壇ができ、市長も参加して「AKB会のキックオフ」のセレモニーをしていたとの情報をもらった。

早速取材を申し込み、北近隣センター並木本館で、AKB会「我孫子駅北口美化委員会」の平井会長、浅井副会長に次のようなお話を伺った。

「大きなケヤキはあるが花壇のない北口駅前ロータリーを、花いっぱいのシンボルとして心に残るような場所にしたい。また活動を長く継続するには多くの協力者、協働者の組織づくりが必要と、話し合いを数か月続けた。我孫子北まちづくり協議会が主導で、我孫子市道路課の道路アダプト・プログラム"A―Rap"を利用し、電力中央研究所、大手スーパー、地元企業や商店、学校、銀行などを精力的にまわり、応援・協力を呼びかけた。そして多くの賛同を頂き、AKB会が発足できた。しかし、これがゴールではなく、スタートであり、特にこの1年間が大事です。」と話された。

インパクトのある会の名称、缶バッチ作成のアイデイアや情報発信などの話題作り、年2回の植え替えや花ガラ摘み、雑草取りなどの計画、特に毎日の水やりなどはきめ細かく当番表ができていた。
お二人のお話を伺いながら、各ボランティア団体は高齢化に伴い活動が制限されている中、AKB会のように学校や地元企業などの若い人達との協働は、これからのボランティア活動のスタンダードな形になるのではと思った有意義な取材だった。

これまで、我孫子駅北口ロータリーにはシンボルになるものがない、殺風景だ、雑草が伸び放題で手入れ不足だ、何とかしたいと、同じような思いを持って活動をしていた人達がいた。「まちの美化に取り組む人々」として取材させて頂いた「■5人会」(景観あびこ34号)、「■シルバー人材センター」(同43号)、■個人でゴミ拾いをする方(同56号)、「■フラワーポット」(同73号)など。他にもたくさんの人達がいたと思う。その活動が北口周辺のまちづくりの礎となり、皆さんの意識を高めてきたのではないだろうか。

*AKB = 我孫子駅北口美化委員会の頭文字から
*写真:AKB会より提供
*このシリーズの追い番号を修正いたしました。


写真は「我孫子駅北口美化委員会」より提供)
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…会員の 瀬戸 勝さんが 令和4年5月18日 逝去されました(享年84)… 
  会の立ち上げからのメンバーで、いろいろなお役目を歴任されました。
  三樹会では、発足から昨年まで長い間取り纏めを担ってくださいました。旧村川別荘のガイドも、発足時から世話係と勉強会など尽力されました。
  当会の運営には時には厳しい目をもって見守り、でもユーモアのある言葉で和ませるという技をお持ちでした。肺の疾患で半年ほど入院されていましたが、コロナ禍でお見舞いにも伺えないまま、帰らぬ人となりました。
  謹んでご冥福をお祈りいたします
 瀬戸さんを悼む   小谷 滋(会員)
瀬戸さんの訃報をお聞きしたのは、亡くなられた翌日の5月19日、旅先でのことでした。

数日前に奥様から、入院先でのご様子をお聞きし、快方に向かわれているものと安心していたので大きなショックでした。以来、日を追うごとに寂しさが増しています。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます

彼は図書館、郵便投函や酒買いの折、好んで私の家の前を通られ、よくお会いしたものでした。いつも私がどうしているか、気にかけてくださる優しい方でした。三樹会、旧村川別荘ガイド活動の世話役や、柏での古文書、韓国語の勉強会などで多忙のはずでしたから、私は彼の多忙を案じておりました。

ある日の旧村川別荘の当番の日、胸の痛みを感じながら向かわれ、途中で発作に耐え切れずに、ようよう家へ戻り、即救急車で入院、それっきり家へ戻れなかったのですが、いつもの責任感が彼をそうさせたのだと思っています。享年八十四、まだまだお元気でいて頂きたかった…。

彼は佐倉藩校の流れの佐倉高校に学び、質実剛健、独立自尊の気風の中で育まれ、あの反骨精神も醸成されたのですね。名古屋大学、三菱電機と、名古屋で青春時代を過ごされ、会社の名花をちゃんと射止めた由、見染めた奥様と共通の趣味の山歩き、名古屋から近い北アルプスがお好みだったそうです。
我孫子では寿の高台の地に住まわれ、市の仕事のボランティアガイド、当会でも発足時からの会員として活動されました。今は天国で大好物のお酒を酌みながら古文書、それとハングルを操りつつ「あいつ、まだ来ねえなあ」とお待ちになっているでしょう。

八王子の昭和天皇陵にて
筆者(左)と瀬戸勝さん
  ―2019.5.9景観散歩―

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